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◎第二章 目覚め
植木屋のバイトも何日か行くにつれおもしろくなり、誘ってきた友達よりもよく行くようになっていた。大学の授業も9月になって始まっていたが、植木仕事の方がおもしろくて休みがちになっていた。親方も学校行かないでも平気なのか?とか、もちろん自分の両親にしてもちゃんと授業出てるのか心配してた。その頃もう普通に大卒で会社に就職する気は大分なくなっていた。何か自分で事業というか何かやりたくなっていた。その専務の息子や豪農の息子達とは違う自分自身の力で切り開いて、いつか恵まれすぎてるお前らを見返してやる、みたいな感情が前にガンガン出てきてやたら生き急いでいた。その手段として植木職人はどうなのか?いや先ずその前に俺にとって、この残りの大学生活と大卒という肩書きが本当に必要なのかを考えた。そしてその結論が出た上で、本当に俺が植木屋として一生やっていけるか考えようと思った。もう半分決めてるトコあったけど。バイトというか半分修行みたいな感覚で仕事してたから。まあ確認のため考えようと思った。余談だけど、俺も選択できる境遇にあった分、ある意味恵まれてたのかなーって今になって思う。両親に感謝。
まず図書館や本屋で「大学」と名の付く本をあさった。その中に、有名芸能人や財界人等著名人の体験談を綴った「大学時代に何を学ぶべきか。」みたいな表題のついた一冊の本に出会った。その中で秋元康だったか忘れたけど、大学の4年間なんてものは、唯一人生の間で許された、必要な無駄な時間だ、みたいなことが書いてあった。確かに無駄な時間を過ごしている意識はあった。しかしそれがこの先社会に出て一人の男として長い人生を送るうえで、必要だとは思わなかった。それでもって地元の友人やら大学の友達やらにも相談していた。そんなみんなが口を揃えて言うことは、「せっかく入ったんだからとりあえず卒業してからでも遅くないんじゃない?」だった。常識的に考えればそうだろう。みんなは別に今の時間が無駄だとか必要だとか関係なく、サークルや体育会なんかで楽しんでたし、逆に今しか出来ないみたいな感覚で遊んでる奴もいた。自分自身迷いながら仕事半分、通学半分の生活がしばらく続いたある秋も深まった日の昼下がり、大学近くの公園で一人で弁当を食べていた。その日は朝1限に授業があって、2限と3限が空いて4限にどうしても取らなきゃいけない講義があった日で、仲のいい奴ともすれ違う週に一度の厄介な曜日だった。1限が終わった後どうやって4限まで時間をつぶそうかいつも考えていた。吉祥寺駅と大学の間を乗ってた中古のママチャリでホカ弁と雑誌を買ってその公園に行ってボーっとするのがなんとなく習慣になっていた。そのベンチに座って、時には草野球を見たり、草サッカーを見たり、若いママ達が小さな子供を遊ばせていたりで、武蔵野の平和な昼下がりがそこにはあった。

「俺、何やってんだろう?もういいだろう。もーやーめた。」近くにあった公衆電話から、当時付き合っていた彼女に電話した。
「俺やっぱり大学辞めるから、今決めたから。」

その日を境に学校へ行くのをやめた。
退学する意志を固めた以上、次に親を説得しなければならなかった。一浪して予備校まで通わせてもらって、やっとこ受かった大学を2年そこそこで辞めたいなんて、到底納得するはずもなかった。
「やめて何をするんだ?」「植木屋になる。」「卒業してからでも遅くはないだろう。」「もうこれ以上大学生活は俺には必要ない。大卒の肩書きも必要ない。だから庭修行に専念したい。」
そんな言い合いが何週間か続き、しぶしぶ親父は退学届にはんこを押してくれた。
今になって考えてみると、俺の場合その無駄な時間の間に、将来を考え人生を決める職業にめぐり合えたから、結果的に必要だったのかもしれない。だから大学生活の 2年間は俺にとって貴重なものだったと言える。そして大学を中退したことに未だ1度も後悔はしていない。親不孝はしたかもしれないが、逆に良かったと思っている。(第 3章へ続く。)
<目次>
第1章 なぜ俺は植木屋になったのか・・・?
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第3章 庭修行本格スタート。
第4章 いざ鎌倉。
第5章 少し見えてきた・・。